記事一覧

私たちの兄貴。

千葉県在住

70歳

男性

高等学校入学は昭和31年4月、担任の先生との初対面の第一声は「僕は君たちの兄貴と思ってくれ」でした。男女合わせて50名くらいのクラスの生徒の緊張は一瞬でほぐれました。旧制高校から進んだ東大では哲学を専攻された先生は酒好きの山男で、特に男子生徒は男としての教育や指導をして頂き、春休みや夏休みには軽い登山に男子数名を同行、山頂にテントを張って夜空の星を見上げながら青春まっただ中の若者の話に耳を傾けてくださいました。そして先生が聞き上手ゆえについ片想いしている女子生徒の名前をそれぞれが告白するはめとなり、先生は席替えの時におおいにその貴重な情報を参考にされ楽しんでいたようです。日帰りのハイキングには女子も誘って先生と生徒の課外活動は盛んでした。終戦から10年を経た日本の庶民生活はまだ決して豊かではありませんでしたが、成績優秀も劣等も入り乱れてのクラス活動は活発そのもので、われわれのクラスは「動物園」と評されておりました。先生との出会いはわが高校生活を豊かな思い出に彩り、今でも輝かしき青春時代の一ページとなっております。先生はすでに鬼籍に入られましたが、叶うならもう一度先生と酒を酌み交わしたい!我々に酒を教えてくれたのも先生だったから…。

下駄先生への感謝。

豊島区在住            

70歳 女性
 
昭和27年当時の中学校の図書館には本はまだ今ほど豊富には揃っていませんでした。私が一年生の時の担任の男性教師は夏休みに入る前日、私に10冊の文庫本と一冊の大学ノートを手渡し「これを読んでノートに読後感を書いてみなさい」とおっしゃいました。以来卒業まで先生は担任が変わっても私に文庫本を貸しては感想文を読み、また10冊貸して下さるという授業外のご指導を続けてくださいました。お陰で中学生には難解なモーパッサンの女の一生や脂肪の塊、ボヴァリー夫人や赤と黒も懸命に読み、読書の習慣が身につきました。たぶん私だけでなくクラスの数人は「下駄」というあだ名のこの国語の先生に啓発されて「趣味は読書」となったことでしょう。 今でも「下駄先生」に深く感謝しております。

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ