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カルティエの現代における最高傑作のひとつであるトーチュの25周年(そして復活)を記念して、

今年のカルティエのテーマはずばり、“Turtles all the way down”だ(ヒンドゥー教と中国語で“世界を背負う亀”を意味するだけでなく、ブルックリンにある私のお気に入りのバーの名前でもある)。カルティエは新作としてトーチュ以外にもさまざまなモデルを発表したが、同モデルが今回のWatches and Wondersにおけるカルティエ プリヴェの目玉であったことは間違いない。トニー・トレイナはこのモデルのリリースを読む価値のある素晴らしい記事に仕立ててくれたが、私はオリジナル……、いや、25年前のCPCPではなく本当の意味でのオリジナルを見直す価値があると感じた。

3月にパルマに行ったとき、カルティエスーパーコピー代引き優良サイトから次に発表されるのがトーチュであることを明らかにされた。数カ月前から噂は耳にしていたが、カルティエの2024年新作“予想”の際には同モデルに対して自分の心に正直な1票を投じていた(ちなみに、「マキシ オーバル」の再臨についてはいまだに期待している)。そこで、その場に居合わせたアウロ・モンタナーリ氏(Auro Montanari、通称ジョン・ゴールドバーガー氏)に、私が長いこと実物を見てみたいと思っていた時計、1929年のプラチナ製カルティエ トーチュ モノプッシャー クロノグラフ(世界で1本しか製造されなかった)を出してもらえないかとお願いした。

この時代のカルティエのモノプッシャー クロノグラフは、イエローゴールド製7本、プラチナ製1本の計8本が知られている。この時計には、興味深い来歴がある。この時計は以前、(非常に希少な)書籍の形で残っている“ホワイト・カルティエ”コレクションを手がけたジョルジオ・セラニョーリ(Giorgio Seragnoli)氏の手元にあった。カルティエのコレクター曰く、セラニョーリ氏が所有していた時計は、ブルーのアルカンターラストラップによってひと目でそれとわかることが多いという(もちろん、それが保証にはならないが)。モンタナーリ氏は一時期このモデルを追い求めていたが、当時のセラニョーリ氏は資産を無尽蔵に持ち合わせており、それによって誰も持っていないような時計の確保に勤しんでいた。しかし、結局は時計を手放すことになり、モンタナーリ氏に再びチャンスが巡ってきた。これは教訓だが、チャンスというものは逃したら基本2度と巡ってこない。

アウロ・モンタナーリ氏所有の1929年プラチナ製カルティエ トーチュ モノプッシャー。時計を手にしているのはベン・クライマー。

ホテルのロビーで時計の裏蓋を開けることはしなかったが、この時計にはヨーロピアン・ウォッチ・カンパニーのムーブメントが搭載されている。モンタナーリ氏が送ってくれた写真を以下に紹介しよう。このムーブメントはブリッジとレバーの塊で、いまだに駆動することに驚かされる。しかし実際、動いていたのだ。私は気が済むまで時計をスタート・ストップしたり、リセットしたりさせることができた。分積算計はジャンプするのではなく、ゆっくりと少しずつ針を進める。彼は私に言った。「使えない時計なんて、持っていても仕方ないでしょう?」

ヨーロピアン・ウォッチ・カンパニー製のムーブメント。photo courtesy John Goldberger

文字盤は明らかにコンディションが悪い。カルティエの文字盤が1950年代から1960年代にかけて、当時の所有者によって頻繁に交換された理由もよくわかる。正直なところ、1920年代のカルティエとしてはかなり良好なコンディションを維持していたが、ケースは(防水はおろか)耐候性を備えているとは言い難いものだった。現在では、貴重な時計のオリジナル文字盤を保存し、カルティエに別の新しい文字盤の製作を依頼することができる場合がある。この個体ではプラチナケースのほか、ケースとムーブメントのシリアルナンバー、“D”バックルのプラチナホールマークなど、多くの刻印が残されている。また、ファセットが施されたブルーのリューズ(ルビーカボション付きの現行プラチナモデルとは異なっている)も取り付けられている。

「このトーチュは1990年代末にサザビーズのジュネーブオークションに出品されるまで、ミラノの女性が所有していました」。モンタナーリ氏は語る。「その後、オズワルド・パトリッツィ(Ozvaldo Patrizi)氏の本に掲載されています。私はこの時計を5年前に購入しました。当時、カルティエの記録を見つけるのは大変でした。何の手がかりもなかったのです」

「その女性はイタリアのファシズム体制におけるある重要閣僚の愛人であり、その閣僚が彼女のためにこの時計を注文していたことがわかりました(オークション当時、彼女の年齢は80代から90代だった)。カルティエには、1920年代から1930年代にかけてのこの数奇な時代に、王室、政治家、指導者たちに販売されたすべての時計に関する個別の特別な記録が残されています。そして最近、その記録がようやく発見されました。カルティエの手によって、世界で唯一のプラチナモデルであることが証明されたのです」。控えめに言っても、興味深い出自だ。

素晴らしい時計が集まる場所で週末を過ごしました。

もし映画『ナイト ミュージアム(原題:Night at the Museum)』がアメリカ自然史博物館ではなく、例えば南フランス(具体的にはモナコ)で、しかも昼間に、もっと多くの人々がいるなかで行われたとしたら、それはほぼモナコ・グランプリ・ヒストリックのようなものになるでしょう。

モナコ自動車クラブ(Automobile Club de Monaco)は2年に1度(2024年で14回目)、グランプリ・ヒストリック(Grand Prix Historique)を開催しています。これは生きた博物館のようなイベントで、パネライスーパーコピー代引き優良サイト1920年代後半から1980年代に製造されたグランドエフェクター付きF1マシンまでのレーシングカーが、ほぼ1世紀近くにわたりモナコグランプリを開催してきた同じ市街地サーキットを走るのです。

この真ん中には競馬場があります。実際に水の中にあるわけではないですが、これ以上場違いなところはないでしょう。あの山を越えてボールを投げられるか、どうか賭けてみませんか?

毎年、マリーナ周辺の通りは、カジノ・ド・モンテカルロへの丘を登りってから再度丘を下り、ポール・エルキュールへと続くトンネルを抜けるまでの通りは、チェッカーフラッグを目指すレース参加者のためだけに閉鎖されます。各チームは、時代別または車種別に編成された8つのクラスのいずれかにクルマをエントリーします。これらは単なる展示品ではなく、激しく走らせるためにここに集結するのです。目的は自慢するためですが、トロフィーも用意されています。

クルマ好きにとって、これ以上のものはありません。珍しい名車が博物館に展示されているのを見るのも、ゴルフコースでゆっくり走るのを見るのも一興です。しかし、モータースポーツのなかで最も歴史あるサーキットのひとつで、(ドライバーの)限界まで走らせられるのを見聞きすることこそが真髄なのです。

1974年、ジェームス・ハント(James Hunt)がドライブしたヘスケス308。チームが初めて製作したF1マシンです。

ホイヤー モナコ 1133b、“トランジショナル”リファレンス。

GPH(グランプリ・ヒストリック)を楽しんでいるあいだ、モナコを着用していました。それまではあ気に留めたことはありませんでしたが、確かに重要な時計です。ブランドにとって重要な役割を果たし、存在することをうれしく思います。マックイーンに似合ってるから、それだけで自然とクールになる。ただその魅力を完全には“理解”していなかったようです。

アイルトン・セナのロータス97T(左)とマクラーレンMP4/4。

街を歩いて、ここでレースをしているクルマを見てわかったことは、非常にシンプルな真実です。それは、物事がクールである理由が必ずしも論理的ではないということです。これは特に深い洞察ではありません。とはいえ、ハイパワーのレーシングカーが小さな通りを疾走するのは、現実的にはとんでもない話です。今日、ほかのどこかでそれが起こったとしても、ここモナコと同じような意味で起こることはほとんどありません。

特定の目的のために作られたマシンが、本来存在するべきではない場所で限界に挑むのは、見ていて信じられないようなことです。それは本来存在するはずのないものだからです。そうでなければ通常は共感しにくいものに、人間的な文脈を与えるようなものです。レースカーがレーストラックにいるのは当然のことであり、それは不毛で、(うまくいっているときは)あまり劇的ではありません。それはバランスの取れた方程式のようなものです。

1972年のフェラーリ312B3プロトタイプ。“スノープラウ”として知られています。

つまり、あれを見てください。

飛行機みたいなクルマが狭い市街地の道路を走り、ヨットがたくさん停泊しているマリーナに通じる狭いトンネルを思い切り走らせたら? 途端にカッコよくなるのです。自動車レースにこれ以上ドラマが必要だったわけではありませんが、それでも評価は10点満点で文句なしです。

1974年のサーティース TS16がカジノ スクエアを疾走しています。

モナコ(時計)は、そんなに極端な例でしょうか? いや、そうではありません。しかし、だからといって類似点がないわけではありません。モナコ(場所)を離れる頃には、その時計に対する新たな評価が芽生えていました。私は手首が細いため、このサイズの時計は自分には扱いにくく、またはつけ心地が悪かったりするだろうと考えていましたが、実際にはそうではありませんでした。

GPHを取材しているあいだ、この時計のことはあまり考えていませんでしたが、多くの状況で長時間身につけることを想定した製品としては高く評価できるでしょう。注意をほかに向けなければならない活動をしているときに、時計のことをあまり考えたくはありません。最高の道具は邪魔にならないものです。このサイズの時計はチタン製のほうがより適していると思いますが、スティール製のモナコも決して着用しにくいわけではありません。そして幸運にも一緒に過ごすことができた、ヴィンテージのモナコ Ref.1133Bの40mm×14mmというサイズは、現行のタグ・ホイヤー モナコ(39mm×14mm)とほぼ同じ大きさです。

1974年のサーティース TS16。

有名なカーディーラー、トム・ハートリー・ジュニア(Tom Hartley Jr.)が元ジャッキー・スチュワート所有の1970年製マーチ 701と一緒にいます。熱心な読者は、彼がパテック フィリップ ノーチラス 5990をつけていることにも気づくでしょう。

ここにはトレーラー・クイーン(展示用の車)など存在しません。

スクエアウォッチはラウンドよりも常に大きく感じられますが、モナコは興味を引く存在であり邪魔にはなりません。レーシングクロノグラフであることは言うまでもないですが、視認性を高めたサイズも丁度いいです。とても機能性に優れているのです! またそのデザインと形は、当時のホイヤーのダッシュボードクロックをほうふつとさせます。クールで興味深い存在でもあります。モナコは、私の予想をはるかに超えて、楽しい時計であることを証明してくれました。

繰り返しになりますが、何か新しいものと過ごす時間が以前の概念を覆す可能性があるということは、特に深い洞察ではありません(いい意味でも悪い意味でも!)。しかし、もともとタグ・ホイヤー モナコについての考察記事を書こうとしていたわけではありません。プランとしては、素晴らしい場所で素晴らしいクルマと、素晴らしい時計を見に行くことでした。にもかかわらず考えさせられたのです。